廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) 明治政府によって1868年(明治1)以来とられた神仏分離政策に伴う、寺院を破却し僧侶を還俗させるなどの仏教廃止運動をさす。明治以前は全国いたるところで寺院と神社は神仏習合しており、大社においても別当僧が神官を兼ねたり、神体を仏像にしている例が多かった。檀家制度に支えられた寺院は経営が安定しており、神社を支配していることが多かった。幕藩領主もキリシタンの摘発業務である寺請状の作成を寺院僧侶にまかせていたので、日本人全体がいずれかの寺の檀家になることが義務づけられていた。まさに国民仏教といってよい。
ところが明治政府は、天皇制国家を形成させるため伊勢神宮を国家の宗廟として、そのもとに国家神道政策をおしすすめ、全国の村鎮守クラス以上の神社からは仏教的色彩を一掃するため神仏分離政策を行ったのである。そして国家神道の先兵的役割を果す村鎮守の神主の身分を僧侶より引き上げる政策をとった。水戸学や国学の思想の強いところでは、これを機会に今までの僧侶の風下におかれていた神官たちが、廃仏毀釈運動として徹底的な仏教排斥運動を展開した。そのため地域によっては仏教寺院すべてを破却したところもあった。それほどではなくとも、仏像・経典・伽藍などが焼却された例は枚挙にいとまがない。この運動のもっとも激しかった代表的な地域は、薩摩藩・松本藩・富山藩・苗木藩・津和野藩、伊勢の神領、隠岐・佐渡などである。そのおびただしい処分の実態は『明治維新神仏分離史料』に収録されている。
『岩波仏教辞典 第二版』 / 中村元[ほか]編(岩波書店 , 2002.10)